なぜいつの時代も「占い」があるのか?

見えない世界に救いを求めるのではなく「知恵として受け入れる」学びが必要です。

リクナビNEXT「Tech総研」さんのサイトより。

 

「占い」に求めるものは、男性と女性との間では少し異なるもののようです。

 

まず、女子はどんなときに占いをしたくなるのでしょうか?

「毎日」見る占いと、「たまに」見る占いで少し異なるようです。「毎日」見る占いは、おみくじのように運試しの要素も入った、ライトな占いが一般的。

「たまに」使う占いの方が、どちらかといえばきっちり「占い」という感じ。いろいろな占いの方法がありますが、占いをしたくなるのは、特に「恋愛しているとき」と「気分が落ち込んだとき」、「仕事など将来で悩んだとき」など、重要な判断に迷ったときが多いですよね。

《引用ここまで》

 

家族友人・身近な人には言いにくいけど、困ったことを聞いて欲しい「相談相手」としてなんですよね。

 

つまり、ただ聞いてくれて共感してくることで、その思いが通じてよかった!となることが多いようなのです。

 

一方、男性は女性と違って「結構ガチ」な相談事を持ってこられることが多いです。

 

AERAさんのサイトでは、このように書かれていました。

 

「人生ついていない時期ってあるじゃないですか。波があると経験的に知っていても、抜け出せないかもしれない不安を抱えてじっと待つなんて、耐えられるもんじゃないでしょう」(精神科医・作家の春日武彦さん 談)

 

私の感覚的にも、女性よりも男性の相談者様の方が、結構深刻なお悩みを持ってこられる方が多いのです。

 

「どっちがいいと思いますか?」 

 

とか、

 

「引っ越した方がいいと思いますか?」

 

とか。

それって、ガチじゃないですか、という内容ばかり。

 

男性の方も、占いは「困っていることを言語化して共感してくれそうな相談相手。選べないことを選んでくれそうな相談相手。」として来られることが多いです。

 

結果、占いに求めるものは、「時代を先読み」して「自分が受ける精神的な負担を和らげたい」とか、「自分が見落としているものに気付きたい」という発見や安心を求めて来られている方がほとんどかな、と感じております。

 

では、実際に鑑定とアドバイザーをやっている側の私の回答はどうなるか、と言いますと、

 

「私の元に相談にこられるということは、良い答えは出るとは思いますが、それが【楽になること】とは違うかもしれないことを覚悟して聞いていただけますか?」

 

と伝えています。

 

良薬は口に苦し、とも言えますし「苦難は幸福の一歩手前」とも言えるわけです。

 

相談者様の真剣度合いによって、答える私たちの真剣度合いも変わってくるのです。(手を抜くとはニュアンスが違います。)ライトなご質問には浅く広く、場合によっては少し突っ込んだ回答になるわけですが、真剣なお悩みには、私もガチで真剣な「2択ないし1択」くらいの回答を差し上げています。

 

もともと、ジョーティシャ(インド占星術)は占いとしてではなく、大宇宙の動きと世の中の動きを照らし合わせるための「天文学」として使われていました。

 

ジョーティシャ自体には、「見る」機能は備わっていても「変える」方法までは本来は教えてくれていないのです。

 

実際に起こる出来事や災害というものは、見たまま受け取るしかありません。

しかし、「幸せ」になるかどうか、「これで良い」と思えるかどうかは、その人の努力や考え方次第、ということになります。

 

私たちは「こういう受け止め方がありますよ」とか「本来はこっちの方が幸せだったりするんですよ」という見方をご提案しています。

 

占いそのものは木星的な要素が強いですから、占い師のアドバイスを受け取って、結果が良くなるというシナリオはその相談者にあるかもしれません。

 

つまり、その人に刻まれたイベントとして

「占い」→「良い結果に結びつく」は実際に起こりうる可能性が高いということなのです。

 

ですから、私は占い自体を否定するわけではありません。

しかし、「私の力であなたの人生は良くなる!波動の力を持っている」と前面に押し出す占い師は、もしかすると詐欺師要素もあったり、虚言要素もあるかもしれないので、少し危ないかな〜と(個人的には思っています。)

 

仮に占いの後に良くなったとしても、その良い選択は「占い師が力を持っている」わけではなく、「あなた自身が変わりたいと思って選んだ」アドバイザーの一部に過ぎないと、理解いただければ幸いです。

 

ジョーティシャは「大宇宙と世界のつながり、リズム」から世の中の動きを見ています。

ツールとしては十分に使えますが、見えたものを言葉にする「人」次第で、良くも悪くもなるものだということを肝に置いてくださいね。

 

もちろん、私は悪用しませんのでご安心を。